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気がきく人は「他人」を喜ばせ

気がきく人は「他人」を喜ばせ

26/06/2014
94歳で亡くなったやなせたかしさん。彼の「人生はよろこばせごっこ」という言葉に、「気がきく人」の真髄が詰まっていました。
【他の画像】
●やなせたかしさんと荒木町
 『アンパンマン』で知られる漫画家のやなせたかしさんは、私にとって三越の大先輩であり、同じ荒木町で暮らしたご近所さんでもありました。
 昭和22年(1947年)、28歳のときに上京されて、三越宣伝部のグラフィックデザイナーとなったやなせさん。三越での著名な仕事として、包装紙「華ひらく」(図案は猪熊弦一郎氏)に書かれた「mitsukoshi」のレタリングがあります。当初クリスマス期間限定予定だったデザインは、三越のシンボルとして今も使われています。
 やなせさんが荒木町に居を構えたのは、昭和26年(1951年)。三越を退社され、漫画家として独立したばかりの時期だったそうです。
 当時を振り返り、やなせさんは新聞にこんな文章を寄せています。
“僕の人生の出発点は、荒木町です。ここからすべてが始まりました。
 1951年に45坪の家を建てました。荒木町に住んでいる、と言うと、みんなから「えー、粋なところにいるな」と言われました。住んでみて分かったのですが、ここは神楽坂のような三業地、一歩入れば、芸者さんが歩いていたのです。迷路のように入り組んだ路地を、よく犬を連れて歩いてました。向こうから、まだ編集者時代の吉行淳之介が「おー、やなせくん」と自転車でやってきたりね。荒木町の家にはいろんな人がやってきました。
 ある時、ジーパンをはいた知らない男が津の守坂をやってきて「永六輔です」と言う。「はぁ、何でしょう」と聞けば「今度、大阪で『見上げてごらん夜の星を』というミュージカルをやるので、舞台装置と美術を頼みたい」。やったことがないと断っても「僕が教える」とひかない。僕は永ちゃんについて大阪に行きました。評判が良かったようで、その後いくつも舞台装置の依頼が来ました。大阪の現場では後に「手のひらを太陽に」を作曲する、いずみたくと出会います。(複製画)
 (朝日新聞 2011年3月8日)”
 高度成長期、橘家を含め、料亭、芸妓置屋、待合が最もにぎわっていた往時の荒木町の雰囲気が伝わってきます。やなせさんは昨年、94歳でお亡くなりになりました。
 しかし、荒木町とのご縁は途切れていません。地下鉄の駅にほど近い場所にある『アンパンマンショップ』には、今も連日、多くのお客様の姿があります。
 笑顔の途切れることのない店の前を歩くたび、私はやなせさんの著書『明日をひらく言葉』(PHP文庫)の中で知った、この言葉を思い出します。
「人生はよろこばせごっこ」
 なぜなら、これほど気づかいの根本を表現したフレーズはないからです。相手をおもんぱかり、気づかい、もてなし、喜んでいただくことで、自分も幸せを感じる。この言葉こそ、本書で語っていきたい心の成長を見事に表現しています。
●まとめ
人を喜ばせることで、自分も喜ぶ。これが「気がきく人」の本質。(写真を油絵)

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